第4日 〜2006.12.28(木)〜

小倉駅北口→新山口駅新幹線口

32.小倉駅北口7:50→8:10中央卸売市場(西鉄バス北九州)250円 北九州22か29−30 日デ/西工(ワンステ)
小倉駅北口の西鉄バス 中央卸売市場バス停  SUNQパスは昨日で期限切れ。今日からは九州内のバスでも運賃を支払わなくてはならない。といっても、九州のバスに乗るのは、この1本が最後になる。
 小倉駅北口のバス乗り場に行くと、昨夜と同様、たくさんの人がバスを待っている。そうか、これから若松に働きに行く人が待っているんだと思ったら、大間違いだった。
 乗車予定の中央卸売市場行きが到着すると、みんなそのバスに乗り込むではないか。たちまち車内は満員。立っているのもやっとという混雑だ。大きな荷物を、下関駅のコインロッカーに入れてきてよかった。それにしても、こんな年末差し迫って、これだけの人が市場に行くのか? これも大間違いだった。
 今乗っているバスの車体メーカーでもある、西日本車体工業をはじめとするたくさんの工場が、中央卸売市場までの経路上にあったのだ。そして、それら途中の停留所で少しずつ降りていくのだった。
 小倉で乗ったとき、たしかに、市場へ仕入れに行く人がたくさん乗っている雰囲気ではなかった。それにしても、これだけたくさんの工場が経路上にあるとは思ってもいなかった。
 終点の中央卸売市場バス停は、市場の敷地内ではなく道路上にあった。お客をすべて降ろすのに数分かかる。その後バスは、回送になっていったん市場の敷地内に消えた。そして、しばらくすると回送表示のまま市場から出てきて、小倉駅方面へ走り去っていった。
 市場や工場で働く人の動きに合わせて、バスは片道回送という運用が時間帯によって組まれているようだ。
中央卸売市場バス停の西鉄バス
徒歩 中央卸売市場バス停→小倉日明港フェリー乗り場 約1.3km
小倉港の地図  中央卸売市場バス停から、関門海峡フェリーの小倉日明港を目指して歩いていく。地図上での距離は1.3kmほど。乗車予定のフェリーの出航時刻は8:40だから30分ほどある。迷わなければ大丈夫だろう。
 地図に従って歩いていく。工場が点在する埋め立て地だから、道路の幅はかなり広い。にもかかわらず歩く人など最初から眼中にないようで、歩道などない。
 通る車は少ないものの、ひかれてはバカバカしいので、注意しながら車道の端を歩いていく。たぶん方向はあっていると思うものの不安になって、信号待ちしているトラックの運転士さんにたずねる。「この奥だよ」と教えてくれた。
33.小倉日明港8:40→8:53彦島荒田港(関門海峡フェリー)200円 フェリーはやとも
関門海峡
小倉日明港 フェリーはやとも  今回の旅のスタート地点に向かうために乗った飛行機が、ちょうど関門海峡の上を飛んだ。その時撮った写真に、両港の位置を書き込んだのが上の写真。残念ながら窓に遮られて、日明港は入らなかった。
 フェリー乗り場は、広い駐車場と小さな建物があるだけだった。こんな殺風景なところから、車なしで乗る人は少ないようで、歩いていくと係の方が手招きできっぷ売り場へ導いてくれた。
 自動券売機があり、荒田港まで200円の大人きっぷを買う。やがて、「フェリーはやとも」が近づいてきた。もう一隻の「フェリーふく彦」の方が、船体に大きなふくが描かれていて、おもしろいのだが、あちらは撮影向き。どっかで写真が撮れるだろう。
 客室を見渡す限り乗客は2名。乗船時間も短いので、そのまま車の中にいる人もいるかもしれないが、とにかく空いていることは間違いない。途中で「フェリーふく彦」と行き違うが、かなりの距離があり小さくしか写真に撮れなかった。
 流れの速い関門海峡を横切る上、今日は風も強いので、船体がゆっくりと揺れている。あまりうろうろしては危険なので、写真を撮った後はおとなしくソファーに座って荒田港到着を待った。
彦島荒田港
徒歩 彦島荒田港→福浦本町バス停 約1.1km
フェリーふく彦 福浦本町バス停  日明港のターミナルは簡素だったけれども、荒田港のターミナルはかなり立派な建物だった。レストランや土産物屋もある。朝食がまだなら、ここでとることもできたのだ。
 荒田港の前には「関九フェリー前」というバス停がある。しかし、ここにやってくるバスは平日6時台に1本あるだけ。早朝に彦島営業所から竹の子島への送り込み便が通るだけなのだ。
 ということで、最寄りバス停まで歩いていかなければならない。北へ歩けば荒田バス停。海沿いに東に向かえば福浦本町バス停。どちらも1km程度だ。さて、どちらに行こう。フェリーふく彦の写真も撮りたいし、歩道があれば福良本町を目指そう。
 港の建物から通りにでて観察すると、道路の山側に歩道があるようだ。海側にも防波堤に沿って路側帯があるから、写真くらいは撮れるだろう。そうとわかれば、歩くのは福良本町に決定。風が強い中、歩き始める。
 やがて、ふく彦がやってくるのが見えた。ちょうど海側の防波堤が切れて岩場へ出られるようになっているところがある。この風と波では、さすがに岩場に降りる気はしないが、あの切れ目から写真が撮れそうだ。
 風と波のためか、ずいぶんゆっくりゆらゆらと近づいてくるように思える。船名が「ふく彦」というだけなら、下関にちなんでのことと思うだけなのだが、船体に大きく「ふく」の絵が描かれている。
 観光色のある関門汽船ならともかく、観光色の感じられない関門海峡フェリーにこの塗装は何とも目をひく。明石海峡の「たこフェリー」とともに、見て楽しい船の1つだろう。
 その先に、もう何年も誰も使っていないのではと思われる公衆便所があり、そこから山上へと遊歩道が続いている。道は左に大きくカーブし、右手の海は堤防で守られた福良港になった。すると、左側に長い石段が現れた。山上には福良金比羅宮があるのだそうだ。しかも、その石段を上り下りして鍛えている中学生いる。下にいるのはコーチか顧問の先生か。スポ根漫画の一場面を見るようだった。
 歩いている道路を、たまにサンデン交通のバスが走っていく。ここを走る定期便のバスは、朝の1本しかないはずだが、竹の子島から営業所への回送が走っているようだ。これに乗せてくれればと思いながら歩いているうちに、目の前に福良本町のバス停が現れた。
福良金比羅宮
34.福良本町9:33→9:51下関駅(サンデン交通)250円 下関230あ・163 いすゞ/富士重工
福良本町のサンデン交通  福良本町は始発停留所。福良本町止まりのバスがやって来て、先ほど通ってきた道の途中にある折り返し場にいったん入る。そして、下関駅を表示して目の前にやって来た。
 このバスのナンバーは下関。2006(平成18)年10月1日から交付されるようになった『ご当地ナンバー』の1つだ。その後であったサンデン交通のバスは、みな下関ナンバーだったから2ヶ月前にいっせいに登録変更したのだろう。
 始発から乗ったのは、自分を含めて3人。その後の停留所でも、数人ずつ乗ってくる。彦島といっても、本州とは狭いところでは100mもない小瀬戸で離れているだけ。橋は何本もあるし、JR山陽本線だって彦島に渡ってから関門トンネルに入るのだ。
 そんなこともあって、路線バスに乗っている限り、島であることをまったく感じさせることはなかった。彦島ロータリーを過ぎ、彦島橋を渡って本州に渡る。
 ここまでくれば下関駅はもう目の前。アナウンスが市民会館前を告げる。バスが停まると、自分以外の人はみんな降りてしまった。えっ、ここが終点と運転士さんに確認すれば、終点は次だという。終点で降りてみれば、距離的には市民会館前の方が改札口には近かった。
35.下関駅10:30→11:56小野田駅(サンデン交通)1010円 下関230あ・502 日野/J−BUS(ノンステ)
下関駅のサンデン交通 下関駅バス停  下関から小野田まで、バスで一気に走り抜けようと思う。2番のりばでバスを待つ。ここは県内各地へ行く比較的長距離の路線バスに割り当てられているようだ。ただし、ポールに「ニュージーランド」とあるけれども、外国へ行くわけではない。
 やって来たバスは、小野田の先の宇部まで行く長距離路線バスだ。本土縦断の時は、青海島へ行く準急バスに乗ったのだが、前後ドアの普通のバスだった。今回は普通バスだから期待はしていなかったのだが、やはりノンステップバスだった。
 やはり普通便、乗降が多くなるからしかたないのだろうが、1時間半近く乗るとなると残念な気もする。塗色も他のサンデン交通とは違い、濃い青一色になっている。駅前は、市内と長距離の乗り場が別れているためか、ここから乗る人は少なく一番前の席に座ることができた。
 ノンステップバスで展望がきく唯一の席に座って、1時間半を楽しんでいこう。車内を見渡すと「山口200か・502」という表記があったから、このバスもご当地ナンバーに登録変更したようだ。
 唐戸を過ぎ、関門橋がだんだん迫ってくる。下をくぐると御裳川バス停。本土縦断の時、雨漏りしていたバス停の屋根もすっかりきれいになっていた。イオンのショッピングセンターを過ぎると、右手の海も見えなくなってしまった。
 小月で本土縦断の時の経路別れ、東へと進んでいく。埴生を過ぎて国道2号線から190号線へ入る。厚狭川橋を渡ったところで時計を見れば、もう少しで小野田に着くようだ。
 次第に商店が増えてきたなと思ったら、もうそこが小野田の駅前だった。そういえば、小野田市の中心は、JR小野田線に乗っていった南中川や南小野田付近だった。
小野田駅に着いたサンデン交通
36.小野田駅12:21→12:35船木(船木鉄道)390円 山口22う31−60 日野
小野田駅の船木鉄道バス 小野田駅バス停  船木鉄道は、宇部〜船木〜吉部を結んでいた鉄道だった。1961(昭和36)年10月に廃止されてしまった。今も同じ会社名のまま、バス会社として残っている。
 その船木鉄道のバスに乗って、会社名にもなっている船木へ向かう。駅前にやってきた船木鉄道のバスは、真っ赤なノンステップバスが多かったのだが、乗車するバスはベージュをベースにいろいろな色のラインが入った在来車だった。
 宇部から小野田を通って船木へ行く路線だから、かつての鉄道時代とほぼ同じ路線ということなのだろう。すでに車内に乗客が多く、大きな荷物を持って座れる席はなかった。しかたなく立っていく。
 しばらく走ると、小さな橋を渡る。その先は有帆川に沿って走っていく。ところどころで下車があり、ようやく座ることが出来た。バスは、人家が点在する田園地帯を走っていく。
 そんな川沿いの道から離れると、まもなく終点の船木に到着した。バスの車庫の前には、木造の建物がある。これが船木鉄道時代の駅舎だという。待合室や窓口もあり、本社兼バス駅としての機能も備えているようだ。
 発車していくバスを見ると、真っ赤なノンステップバスが圧倒的に多い。在来塗色のツーステップバスに乗れたのは、ある意味ラッキーだったのだろう。
元鉄道駅舎の船木駅
37.船木13:00→13:16二ツ道祖(船木鉄道)100円 山口200あ・・・3 日野
船木の船木鉄道バス  まだこの先、新山口駅まではかなり運賃がかかるだろうからと、先ほどのバスを降りるとき、3000円分の山口県共通バスカードを買ってしまった。
 前のバスは、乗車時間15分あまりで390円。これから乗るバスも乗車時間はほぼ同じだ。当然、同額ぐらいになるだろうと思っていた。
 次に乗る堀越行きは、真っ赤なリエッセだった。この路線は、コミュニティバスではなく船木鉄道の路線バスだということは、船木鉄道のウェブサイトを見てのこと。
 ところが乗ってみると、その運賃は何ともコミュニティバス風だ。全線100円均一。大人小人同額で共通カードや定期券はなく、運賃は現金払いだけだという。
 乗ったのは、自分と男子高校生の2人だけ。船木を出ると、宇部興産専用道路をくぐって進んでいく。途中の万倉というところで、高校生が降りていく。たしかここは、かつて船木鉄道が来ていたところだ。
 鉄道時代は、ここから吉部へ向かったが、バスはもう小川程度まで狭くなった有帆川に沿って走っていく。終点は美祢市の堀越だが、宇部市最後の集落がある二ツ道祖バス停で降りる。
38.二ツ道祖13:22→13:34北川(あんもないと号)200円 山口200あ・・・8 日野(ノンステ)
あんもないと号と船木鉄道バス 二ッ道祖バス停  美祢市のコミュニティバス「あんもないと号」。この路線だけは美祢市から飛び出し、宇部市の北部にある二ツ道祖まで延びている。
 堀越行きのバスを二ツ道祖で降りると、すでに「あんもないと号」が歩道が切り取られて広くなったバス停に待っていた。「あんもないと」号の運行は船木鉄道が行っている。同社のノンステップバスに使われている真っ赤な塗色に、「あんもないと号」のロゴとイラストが入っている専用のノンステップバスだった。
 二ツ道祖から乗車したのは自分だけ。発車して少し走ると、美祢市に入る。入ってすぐの堀越の集落から1人乗ってきた。その先は、中国自動車道、宇部興産専用道、そしてバスの走る県道が絡むように谷間を走っている。
 涼木峠を越えると、カーブの多い下り坂に変わる。正面の山肌が真っ白だ。全山石灰石で出来ているのだろう。山の麓には宇部興産のセメント工場があるはずで、石灰石を取っているのだろう。
 町全体が白いような気がする伊佐の集落へとバスは降りていく。国道の交差点を左に曲がってすぐの北川バス停でバスを降りる。こちらは、堀切線よりも高く200円均一になっていた。
 今日の日程で、一番きついのがここ北川での乗り継ぎ。定時運行での乗り継ぎ時間は、わずか1分。あんもないと号は定刻より1分早く着いたのでなんとかなるだろう。複雑な信号だったが、運良くすぐに青になったので、急いで横断歩道を渡り向かい側のバス停に向かった。
あんもないと号
39.北川13:37→13:57秋芳洞(サンデン交通)500円 下関230あ・191 いすゞ(ノンステ)
北川のサンデン交通  次に乗るバスは、下関から秋芳洞へ行く長距離普通バス。行程も半ばを過ぎているから、少しは遅れてくれるのではないかと、淡い期待を持って組んだ行程だ。しかしながら、今朝乗った宇部中央行きも、小野田駅到着時の遅れはわずか1分。早発して、行ってしまったのではないかと、バスの来る方向を見ている。
 そして、定刻1分遅れで、秋芳洞行きがやってきた。宇部中央行きよりも車体の短いノンステップバスだ。そんな観光色のないバスに、秋芳洞へ行く家族旅行の一家が乗っていた。この家族だって、観光地へ行く長距離バスだもの。観光タイプのバスが来ると思って乗ったのではないだろうか。座席の固いバスに、2時間近く乗るとは思っていなかっただろうに。
 伊佐の集落を抜けると、次第に登り坂やカーブが増えてくる。美祢市から秋芳町へと入っていく。バスは国道435号線と別れ、秋芳洞を目指して走っていく。
 町役場などもある秋吉集落を抜けてしまえば、秋芳洞のバスターミナルまではすぐだった。サンデン交通、中国ジェイアールバス、防長交通のバスがやってくる、けっこう大きなターミナルだ。
見学 秋芳洞 (入洞料1200円
秋芳洞入口 秋芳洞内部  秋芳洞15時台のバスに乗って新山口駅へ向かう予定だった。ところが、防長交通もダイヤ改正があり、14時台の次は16時台までなくなってしまった。
 14時台のバスに乗ろうとすると、1時間弱しか見学時間はないが、せっかくだから秋芳洞に寄ってこよう。20数年ぶりの訪問だ。
 バスターミナルのコインロッカーにバッグを押し込んで、身軽になって入洞口を目指す。歩道の両側に土産物屋や食堂が続く。年末の平日にもかかわらず、さすがに有名観光地。そこそこ観光客がきているようだ。
 1200円の入洞料を払って、さらに先に進む。ようやく秋芳洞の入口が見えてきた。ここまでで、バスターミナルから10分以上かかっている。とてもそんなに奧までは行けそうにない。
 それでも、洞内をあわてずにゆっくり見ていく。20数年前に見ているはずなのに印象があまりなく、初めて見るような気分になる。有名な百枚皿まで来て、いよいよ時間切れ。
 まだ奧がかなりあるのが心残りだが、バスに乗り遅れるわけにはいかない。早足にバスターミナルへ戻る。コインロッカーからバッグを出したときは、すでに発車時刻になっていた。あわててホームへでてバスへ走る。
40.秋芳洞14:41→15:27新山口駅新幹線口(防長交通)1140円 山口200か・361 日野/J−BUS(ノンステ)
秋芳洞の防長交通  今回の旅、最後に乗るバスは、秋芳洞と新山口駅新幹線口を結ぶ観光路線。しかしながら、待っていたバスはノンステップの路線バスだった。秋芳洞から乗ったのは、たしか自分だけ。秋吉の街中で数名乗ってきた。
 新幹線停車駅と観光地を結ぶバスだけれども、普通の路線バスで途中の停留所もある。しかしながら、やはり観光地となるべく短い経路で結ぼうということなのか、通り道に大きな集落は少ない。狭くはないものの、山中のカーブの多い道を行く部分がけっこうある。
 小郡の市街地に出ると、バスはまず新山口駅の在来線側の駅舎を目指す。この新山口駅前で、自分以外の乗客がすべて降りてしまった。
 新山口駅前を出たバスは、右手に機関区などを見ながら走っていく。信号を右折すると、山口線の踏切、新幹線と山陽本線の下をくぐって、道なりに右に曲がってしばらくいったところが、新山口駅新幹線口だった。
 ここからは「ひかりレールスター」で広島へ。広島から500系「のぞみ」に乗って帰宅する。東京乗入れの500系に乗るのはこれが最後の機会になるかもしれない。年末ということもあり、奮発して500系グリーン車最初で最後の乗り心地を確かめた。

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