第9日 〜2006.6.10(土)〜

津川駅前→中条駅前

48.津川駅前9:46→9:58三川駅(新潟交通観光バス)380円 新潟200か・・82 いすゞ/IK COACH
津川駅前の新潟交通観光バス 津川駅バス停  今回は金曜夜出発で月曜朝帰着。往復夜行快速「ムーンライトえちご」という1泊4日の強行日程。磐越西線の途中駅乗降を楽しんでから、快速「あがの2号」で9:26に津川駅に降り立った。
 津川駅と三川駅を結ぶ路線バスは、9:46と12:06の1日2本だけ。この時間に来ても、1番バスに乗れるということだ。駅前には、列車に接続する広瀬行きが停まり、何人かのお客さんを乗せて発車していった。
 やがて三川行きのバスが、発車時刻より少し早めに到着した。写真を撮ってからバスに近づくと「三川行きですけど、いいですか」と言われる。鉄道に並行して走るこの路線に乗る人は少ないのだろう。
 津川駅を出ると、前回も走った国道49号線を行く。左手の阿賀野川は、ダムでせき止められた湖になっていて、ボートの練習をしている人が車窓から見える。やがて、道幅が狭くなった赤い橋を渡ると、ちょっと狭い本尊岩トンネルを抜ける。ダムができる前の旧道トンネルらしきものが下の方に、完全に水没していない姿が見えた。
 トンネルを抜けると左手は流れもほとんどなくなり、完全にダム湖になったようだ。津川漕艇場という標識も見えてきて、ここがボートの競技場になっているのがわかった。
 やがて、ダムが見えてきた。その先、ちょっとだけ国道を離れて左側の狭隘路に入っていく。そんな狭隘路の途中にある黒岩という地区に寄り道してから、坂道を下って三川駅へと向かっていった。
ダム湖の脇を行く
49.三川駅10:20→10:34新谷(新潟交通観光バス)370円 新潟22か15−54 いすゞ/川崎車体
三川駅の新潟交通観光バス 三川駅  三川駅に着いたバスは、行き先を津川営業所に変えた。やがてもう一台のバスがやって来て、お客を降ろすと行き先を古岐に変えた。このバスから津川行きに乗り継ぐ人が何人かいた。
 こちらの乗る古岐行きは、10:16着の列車を受けてからの発車。自分を含めて、乗客は6人。5人は列車からの乗り継ぎ客のようだ。土曜日の昼間にしては、意外に乗っているなというのが印象。
 駅を出ると、いきなり国道を横断してしまい、その先の狭隘路を行く。そこには、郵便局や旧町役場などが建っていた。でも、これが新発田へ続く県道14号線で、磐越西線や国道49号線とも立体交差になっていて、進路を北へと走っていく。
 阿賀野川の支流、新谷川に沿って走っていくと、やがて三川温泉。ここで自分以外のお客は降りてしまった。車内放送は三川小学校前と伝えているが、バス停は三川学習館前。この小学校も閉校してしまったようだ。
 古館を出ると、小さな峠越えといった雰囲気。人家や平地がなくなる。バス停の間隔も開き、放送から聞こえてきた次のバス停が新谷だった。
三川駅前のバス
50.新谷11:17→11:32赤谷連絡所(新潟交通北)400円 新潟22か12−99 いすゞ/IK COACH
新谷の新潟交通北 赤谷連絡所バス停  新谷郵便局の建つT字路のところが、新谷バス停だった。三川駅から乗ったバスは、川の対岸の古岐(ふるまた)バス停まで行くものの、乗り継ぐ新発田行きのバスは新谷(しんや)始発なので、ここで降りることにする。
 ここまで乗ってきたのは、新潟交通観光バスという会社。ここから乗り継ぐのは、新潟交通北という会社。新潟交通の分社も、阿賀町の山の中で別会社になるのだった。だから、新谷バス停には、会社ごと2本のポールが立っていた。新潟交通観光バスのは新しいが、新潟交通北のは錆びていて、新谷の文字がかろうじて読めるような状態だった。
 やがて、新発田からのバスが到着し、行き先を新発田営業所に変えた。今度のバスは、正面にバスカードのステッカーが貼ってある。新潟交通のバスカードがそのまま使えるのだとのこと。
 乗り込んでみると、座席の窓側に10センチほどの長い台がついている。これが新潟交通の特徴の荷物置き場だ。ほんと、ちょっとしたバッグなどを置くのに重宝する。今まで乗ったバスは、他社からの移籍車ばかりだったのだろう。この荷物置き場がない車両ばかりだった。これが、新潟交通オリジナルに乗る最初らしい。
 阿賀町の上綱木というところで高校生が1人乗ってくる。その先、阿賀町と新発田市の境にある郡界バス停は、本当に何もない峠の頂上にあった。
 そこを過ぎると、道路は下り坂になる。坂道を下ったところにある集落が、赤谷だった。このまま新発田まで行けるものの、国鉄赤谷線が走っていたころの終点、東赤谷に寄っていこう。
新谷バス停
徒歩 赤谷連絡所バス停→東赤谷バス停(約3.0km)
途中のバス停  あのまま新発田まで行っても、乗り継ぐ中条行きは15時までない。そこで、赤谷の町の中心、赤谷連絡所で降りて、かつて国鉄赤谷線の終点だった東赤谷まで歩いてみようではないか。鉄道時代も、勾配の関係からか、赤谷の町の中心には駅はなく、赤谷駅はもっと新発田寄りだったとのこと。
 ここから先は廃線跡がそのまま拡張されて道路になっているとかで、遺構を見つけることは難しいだろう。かつての鉄道の雰囲気だけを、景色から楽しむしかないようだ。
 2kmほど歩いた、対岸への橋があるところに、朴名橋というバス停があった。そこから500mほど先の橋のところにも、焼峰橋というバス停があった。こちらは、屋根付きの立派な待合室もあった。あとでわかったことだが、11月〜2月は、バスは東赤谷まで行かず、この焼峰橋が終点になるとのことだった。
 水力発電所を過ぎて、もう500mほど行ったところが、東赤谷だった。バスの回転場は広い砂利敷きの広場になっている。ここがかつての東赤谷駅の構内だという。奧のこんもりした茂みの中に、手すりの残骸が見えたから、あそこが駅舎のあったところかもしれない。左手には、かつてのスイッチバック式の線路跡か、緩い坂道になった茂みが細長く続いていた。
 しかし、何もない終点だ。工場があるだけで、人家は見えない。バス停の入口には「滝谷森林公園」の案内があるものの、地図を見るとメインの施設は、川を渡った対岸で、まだここから1km近くあるようだ。
見学 東赤谷駅跡(東赤谷バス停)
東赤谷 東赤谷
東赤谷 東赤谷バス停  赤谷線の東赤谷駅は、勾配を登った先にあるスイッチバック式の終着駅として、鉄道ファンに有名だった。ところが、その痕跡がほとんど見つからない。
 こんもりとした茂みをのぞくと、確かにホームに使われていたのだろう、木製の柵などを見ることができた。でも、駅舎もホームの盛り土もなくなってしまった今では、ここに駅があったということが実感として伝わらない。
 そして、この何もない砂利敷きの空き地に、東赤谷バス停のポールが立っていた。鉄道の廃止代替路線だから、何もなくなってしまっても、鉄道の終点がバスの終点になっているのだった。
 やがて東赤谷の行き先を出したバスがやってきた。新潟交通にしかいない、北村ボディーのいすゞ車だった。新潟に行けば会えるかもしれないと思っていた「なまず」に、早くも会うことができた。
51.東赤谷13:19→14:01新発田営業所(新潟交通北)600円 新潟22か・900 いすゞ/北村
東赤谷の新潟交通北 東赤谷のなまず  東赤谷から、先ほど降りた赤谷連絡所を通って、そのまま新発田営業所まで乗っていく。新潟に来たからには乗りたいと思っていた、北村のなまずに初日に出会えるとは、なんと運のよいことか。1986〜1988年の3年間に新潟交通のみ100台ほど納車されたのが、北村製作所のこのバスなのだ。車齢も20年近くなり、すでに残っているのは25台ほど(2006年当時)だという。
 車内に入ってみると、これも新潟交通オリジナルの荷物台が設置されていた。バスカードも使えるし、まだまだ活躍して欲しい車両だ。
 先ほど歩いた道を、バスだとあっという間に走り抜けてしまう。数分で、先ほどバスを降りた赤谷連絡所だ。ここから乗ってくる人もいる。赤谷駅があった赤谷車庫前バス停を過ぎると、やがて廃線跡を利用したサイクリングロードが車窓からも見えてきた。
 ところで、新発田営業所の場所を知らずにこのバスに乗ってしまった。駅前で乗り継ぐこともできるが、せっかくだから営業所まで乗っていこう。線路を渡って駅前や街中をぐるっと回り、再び線路を越えて戻ったところが営業所だった。
なまずの車内
52.新発田営業所15:00→15:48中条駅前(新潟交通北)660円 新潟22か・856 日デ/富士重工
新発田営業所の新潟交通北  新発田営業所で、買い物回数券を買っておく。平日・土曜の16時までと、日・祝の終日使える回数券で、5枚分の値段で7枚ついている。100円券と50円券を2冊ずつ、3000円で4200円分のきっぷを買っておいた。これくらいは乗るだろう。
 中条営業所行きは、土休日は運休便が多い。時間になってやって来たのは、荷物置き場付きの新潟交通オリジナルバスだった。ところが、今までと何かが違う。そう、運転席の後ろに運賃の三角表がなければ、運賃表示器もないのだ。いったいどうやって運賃を払うのだろう。
 駅前では乗車はなかった。街中もどんどん通過していく。そんなに利用客のいない路線なのかと思ったら、県立病院前バス停でまとまった乗車があった。
 やがて住宅街を抜けると、水田地帯に入っていく。そんな水田地帯の途中に、小さな集落が点在していて、やがて降車ボタンが押されて乗客が降りていく。
 いったい、どうやって運賃を払うのかと注目していると、運転士さんはカシャカシャと金属の棒を左右に動かしている。なんと、ブック形の運賃表示器で、金具の取っ手を左右に動かす度に、1枚ずつ運賃表が下に落ちる仕掛けになっていたのだ。夜間でも使えるように、小さな照明装置も脇についているではないか。紙と重力という、基本的な力を利用したこの機械。かつては、電動式のもっと大型のものをフロントガラスの上につけている会社もあったのだが、今でも現役で活躍しているのを見て、ちょっと感激してしまった。
 やがて乗客は自分だけになってしまった。バスの経路がわからず、営業所よりも手前に駅があるのかどうかもわからない。信号待ちしたときに運転士さんにたずねると、駅へ寄ってから営業所へ行くという。
 ようやく羽越本線までたどりつき、踏切を渡って右折したところが、中条駅前だった。手書きの運賃表を見ると660円。割引率の高い回数券だから、損するわけではないので、700円分の券を入れてバスを降りた。
手動式運賃表示器

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