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第52日 〜2003.8.21(木)〜

サロマ湖畔→浜頓別

345.サロマ湖畔7:28→8:03佐呂間(佐呂間町営)390円 北見22は・199 日野
朝のサロマ湖 サロマ湖畔バス停  朝は窓の外から大きな音が聞こえてきた。まさか暴走族が早朝集会をやっているわけはなかろうと、部屋のカーテンを開けると、漁船が出漁していく音だった。遠くまでいく船もあるが、目の前で操業を始める船も見えた。
 このホテルの朝食はバイキング。朝6時半から食べられるのがうれしい。これなら、時間が早い町営バスにも間に合う。しかも、冷蔵庫の中の佐呂間産瓶入り牛乳が飲み放題とのこと。
 チェックアウトを済ませて、サロマ湖畔バス停で朝のバスを待つ。町営バスは、通学時間帯の午前中に1本。昼に1本。夕方2本と、完全に通学輸送に合わせて走っている。やがて、昨日と同じ町営バスがやってきた。朝は通学輸送があるのだろうと思っていたのだが、中学生が少し乗っている程度だった。
 午前中の佐呂間行きと、午後の浜佐呂間行きは、富武士(とっぷし)の先のトカロチ浜までの枝線往を復する。そのトカロチ浜に着くと、小学生が数人待っていた。「おはよう」と運転士さんが声をかけると「おはよう」と声を返していく。この先は小中高と生徒たちが乗ってくる。運転士さんはひとり1人に「おはよう」と声をかけるが、声を返すのは小学生と女子中学生がほとんど。男子中学生と高校生は声をかけられても、挨拶が出ないのはちょっぴり残念だ。
 農協支所で小学生21名が下車。高校前で高校生2名が下車。そして中学校前で中学生13名下車する。
 そして、終点佐呂間ターミナルで一般のお客2名が下車。一般客が自分1人でなかったのはちょっと安心した。朝の町営バスはやっぱり通学輸送が中心なのだなと納得した。
朝の町営バス
346.佐呂間9:10→9:58中湧別(網走バス)900円 北見200か・・86 三菱(ワンステ)
佐呂間の網走バス 旧佐呂間駅の保存車両  佐呂間のバスターミナルは、佐呂間〜浜佐呂間の町営バス、網走〜中湧別の網走バス、遠軽・留辺蘂〜佐呂間の北海道北見バスと、けっこういろいろなバスがやってくる。町営バスと接続していたのは、留辺蘂行きと遠軽行きで、乗り継ぐ予定の中湧別行きまでは1時間ほどの待ち合わせ。
 ここは湧網線佐呂間駅の跡で、道路の向こうには蒸気機関車や腕木式信号機が保存した公園になっていたので、そちらを見学に行ったりして待ち時間を過ごす。
 昨日のバスは網走始発だったので「佐呂間経由中湧別」だったのだが、今日のバスはここ始発なので「計呂地経由中湧別」の表示。早めにドアが開いたので、車内で待つことにした。
 北会館までは町営バスできた道を戻る。そこから湖岸を目指して、若里の集落を一周してくる。すぐに湧別町に入って計呂地をすぎて小高い丘に上がると、そこには道の駅「ファミリー愛ランドユー」があり、小さな観覧車があった。この辺りは、飛び抜けて高いところはないから、あの観覧車に乗ればサロマ湖が一望できるのだろう。
 やがて上湧別町に入り、交差点を左折して少し行ったところが、かつての中湧別駅の跡だった。そこにはやはり道の駅「中湧別」があり、そこが終点だった。バス停は、網走バスは中湧別を名乗るものの、他の会社は中湧別文化センタートムという名になっていた。
佐呂間バスターミナル
347.中湧別文化センタートム10:41→10:53湧別(北海道北見バス)300円 北見230あ20−16 日デ/富士重工
中湧別の北見バス 中湧別駅の保存車両  かつて鉄道があった頃、中湧別は4方向へ線路が延びる一大ジャンクションだった。遠軽方面、紋別・名寄方面が名寄本線。網走方面が湧網線。そして、湧別までの短い盲腸線が名寄本線の支線だった。この支線、朝晩しか列車がなく、とても乗りづらい線で、結局乗らないうちに線路が廃止になってしまった。
 ところが、名寄本線の廃止代替バスは、中湧別から直接紋別を目指さずに、いったん湧別を経由する経路をとるようになった。しかも遠軽からの便は、中湧別止まりではなく湧別まで行く。そんなこともあって、紋別へ行く前に湧別まで先行することにした。
 2日ぶりに北海道北見バスに乗車する。このバスは湧別行き。道の駅から国道に出ると、あとは本当にまっすぐで平らな道を走っていく。そんな道を10分ほど走って、近くに商店と郵便局がある、小さなロータリーに到着した。そこが、湧別バス停だった。
 北海道北見バスの大半はここで折り返していく。次の紋別行きは北紋バスの担当で、20分ほどの待ち時間を郵便局へ行ったりして過ごした。
鉄道史料館の説明
348.湧別11:13→11:58紋別(北紋バス)850円 北見22う・290 三菱
湧別の北紋バス  北見〜遠軽〜紋別は、北海道北見バスと北紋バスの2社が運行している。きっと北海道北見バスと同じようなバスが来るのだろうと思っていたら、なんとリクライニングシートのバスがやってきた。こういう裏切りは、うれしい。
 座席の前のポケットには、「国鉄名寄本線メモリアルライン」と書かれたパンフレットが入っていた。これには、名寄本線、渚滑線、興浜南線の廃止代替バスの時刻と、沿線の案内が書かれていた。なかなか魅力的なパンフレットで、運転席脇にも束ねてあるから、持ち帰ってもいいのだろう。そう判断して、1部もらっておいた。
 オホーツク海からそれほど遠いところを走ってはいないのだが、海が見えるところはあまりなかった。やがて、紋別空港入口というバス停があった。本当に空港の入口で、これならここから歩いても、10分以内でターミナルビルに着けるだろう。
 その先で紋別の市街地にはいるが、その辺りから乗ってくる人もいる。南北に長い市街地を進み、定刻より少し早く紋別ターミナルに到着した。
349.紋別12:05→12:47興部(名士バス)700円 旭川22か10−28 日野
紋別の名士バス  紋別からは名寄行きの名士バスに乗っていく。ターミナルの中の旅行会社に、北紋バスの回数券の案内があったので聞いてみると、興部までなら名士バスでも北紋バスの回数券が使えるという。そこで、1000円分の回数券を買っておいた。印刷済みのきっぷではなく、なんと金額をパソコンに入力するとレーザープリンタから専用用紙に両面印刷されて出てくる。タックシールを印刷する要領のオーダーメイド回数券というものに初めてお目にかかった。
 やって来たバスに乗り込むと、禁煙席の文字がある。よく見てみると、前から4列が禁煙席になっていた。その他にも「名寄−下川間は禁煙」の文字も見える。高速バスでも、全席禁煙というものが増えてきたのだが、高速タイプの冷房車で喫煙できる一般路線があるとは、今の時代思ってもいなかった。これも地域性なのだろう。
 湖畔橋バス停の近くで、名寄本線の鉄橋がそのままの形で残っているのが車窓に見えた。ここまで、名寄本線の痕跡を見つけることができなかったので、ようやくここにあったかという気持ちだ。興部の街に入り左折すると、旧興部駅跡にできた道の駅「おこっぺ」が、興部バス停だった。
350.興部13:42→14:16雄武(北紋バス)610円 北見22う・356 三菱
雄武の北紋バス  次に乗る北紋バスは雄武高校入口行き。雄武では枝幸行きの宗谷バスに乗り継ぐ。別会社なので、どこで乗り継ぐのがいいのだろう。折返しで停まっていた運転士さんに聞くと「雄武というところが道の駅になっていて、そこで宗谷さんに乗り継げますよ」と教えてくれた。
 やって来たバスは、先ほどの代替バスとは違い、前中ドアの路線タイプだった。この路線も国鉄興浜南線の代替バスなのだが、鉄道の代替路線といってもリクライニングシート車ばかりが運用されているのではないようだ。
 国道沿いは、牧場と牧草地が続く。途中、日の出岬に寄っていく。海に突き出した小さな岬で、ここのホテルに泊まったら、たぶんきれいな朝陽が見られることだろう。
 次のバスへの乗り継ぎ時間が17分なので、遅れると厳しいかなと思っていたのだが、ほとんど遅れることもなく定刻3分遅れで道の駅「おうむ」にある雄武バス停に到着した。
 国鉄の駅は雄武と書いて「おむ」と読んだのだが、道の駅になってからは町名と同じ「おうむ」という音になったようだ。すでに、乗り継ぐ宗谷バスは停まっていた。
351.雄武14:30→15:38枝幸(宗谷バス)1930円 旭川22か・619 日野
雄武の宗谷バス  雄武から枝幸までは、鉄道として工事はしていたものの、ついに鉄路としては開業することができなかった区間だ。ここが完成すれば、興部から浜頓別まで、興浜線となっていたはずなのだが、興浜北線と興浜南線が完成しただけだった。
 学生時代に「北海道ワイド周遊券」で旅をしたときも、この雄武〜北見枝幸間はバスに乗り継いで旅をした。そんなこともあって、前後の鉄道代替部分の乗車時間・距離に比べて、運賃がかなり高い設定になっている。
 待っていたバスは非冷房車で、前4列の座席には枕カバーに禁煙のマークがついている。ということは、それより後ろは喫煙可なのだろう。事実、後ろへ行ってみると座席の背には吸い殻入れが付いていた。
 雄武を出るとき8人ほど乗っていた乗客も、雄武と枝幸の境に来たときにはかなりの人が降りてしまった。雄武町は網走支庁、枝幸町は宗谷支庁なので、支庁間の人の流れは少ないのだろう。
 車窓には牧場が続くので、海と牛の両方を入れた写真を撮りたいと思うものの、なかなかそう具合のいいところには出会えないまま、終点の枝幸に到着した。
352.枝幸16:25→17:13浜頓別(宗谷バス)700円 旭川22か・618 日野
枝幸の宗谷バス 枝幸駅跡  枝幸のバスターミナルは、興浜北線の北見枝幸駅の跡に建っているようだ。大きな看板のあるターミナルビルの向かいには、「北見枝幸駅跡」の碑のある小さな公園があり、その脇に並ぶ店の中には「駅前食堂」というのがあった。
 ここは各方面へのバスが集まってくるようで、駐車場に宗谷バスが何台も停まっていた。観光タイプのバスも停まっているが、すべて「枝幸行」を表示しているので、どの路線に使われているのかはわからなかった。
 次に乗るバスは、ここまで乗ってきたのと同じ非冷房のバスだった。このバスは盛況で、下校の高校生を中心に20人近い乗車があった。それでも、集落を過ぎるごとに下車が続き、だんだんと車内は閑散としてきた。
 やがて、鉄道時代の有名撮影地、斜内山道の黒白まだらの灯台が右手遠くに見えてきた。路線バスだから、あの灯台の近くを通っていくのだろうと思ったのだが、そうではなく、北オホーツクトンネルで一気に斜内山の下を抜けてしまった。このトンネルを抜けると浜頓別町に入った。
 国道から、浜の付かない頓別地区に寄り道してから、町の中心、浜頓別へと向かっていった。枝幸からここまで乗り通した高校生も2人ほどいたようだ。
枝幸ターミナルのバス
枝幸バスターミナル

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